お母さんと、夢。
とっても嫌な夢を見た。
病気になっていないお母さんがでてきた。
病気になる前のお母さん、というよりも、「病気になっていない部分のお母さん」、という表現がぴったりかもしれない。
以前、スピリチュアルな世界に詳しい、というか、その世界と関わることを生業としている人と話すことがあって、アルツハイマーの人はいったいどういう世界を生きているのか聞いてみたことがある。
その人が言うには、「アルツハイマーなどの認知症の人たちは、病気になった部分が前面に出てきているけれども、その後ろ側には、今までの病気でない正常な精神部分が、もやもやっと隠れている」、と言っていた。
その、隠れている正常な部分の、お母さんだったような気がする。
夢では、グレーのカーペットが敷いてあって、天井が低くて、所狭しとパイプイスが並べてあって、前には白板がある、小さなミーティングルームのような部屋だった。
とても空気が悪かった。
その白板の横で、お母さんがパイプイスに座って、私をどのように育てたか、そのエピソードをみんなに発表しているようだった。
私はとても嫌な気分で、ギャラリー用に並べられたパイプイスの前から3番目くらいの列の、左の端の方に座っていた。
隣には、知り合いの、ちょっと苦手なおばさんが座っていて、私の腕を押さえつけていた。
そのおばさんは、とてもいい人なんだけれども、自分の思いを相手に押し付けすぎるところがあるので、一緒にいるととても疲れるのだ。
お母さんが、私をどんな風に育てたか発表すると、そんな育て方は間違っている、とみんなが責めた。
私は我慢ができなくなって、そのおばさんに「お母さんの隣に行く」と言うんだけれども、「ここにいなさい」と、もっと強く、体ごと押さえつけられるのだ。
気が狂いそうになって、力いっぱいおばさんを突き放し、お母さんの隣のイスに座って、お母さんの腕につかまり、「お母さん、私はお母さんの子どもで本当によかったよ」と、伝えようとした。
みんな、ザワザワと、まるで渦を巻くような、低い唸りのように騒いでいて、いくら大きな声でお母さんに言っても、こんなにすぐ隣にいるのに、聞こえないようだった。
私は、どうしていいかわからなくて、ただ必死で、「お母さん、こっちを向いて。私の言葉を聴いて。わかって。」という気持ちを込めて、お母さんに抱きつくようにしていた。
みんなは、目の前に迫ってくるような勢いで、ぎゅうぎゅう押し合いながら私たちに寄ってきていてた。
そんなみんなから目をそらして、私の気持ちだけを聴いてほしくて、一生懸命お母さんに伝えようとしていた。
本気で。必死で。
でもお母さんは、こっちを見てくれなかった。
不安そうな、後悔でいっぱいのような、独りぼっちのような、そんな横顔しか、見えなかった。
みんなの吐く息が、まるでコールタールのような、重くてどろどろした、空気の塊のようになって、それに押しつぶされそうになって目が覚めた。
ハッと目が覚めたんじゃなくて、まとわりついて思うように抜けない泥から足を引き抜くように、ぬるっと、嫌な速度で、目が覚めた。
私のどこかに、お母さんを責めたいという感情があるんだろうか?
ちょっと、潜ってみたけれど・・・そんな気持ちはない。
むしろ、産んでくれて、育ててくれて、感謝している。
病気になったことは、悲しいけれども、決して、責めてはいない。
病気になったことは、誰のせいでもないし、もちろん、お母さんも悪くない。
お母さんの病気に関しては、悲観的にならないように気をつけている。
「仕方がないこと」なのだ。
ひとつ、いい話を。
お母さんが、私が迎える何かの節目ごとに、言っていた言葉がある。
節目とは、たとえば、卒業だったり入学だったり、合格だったり、成人だったり、就職だったり、という節目だ。
その言葉は、「あんた一人の力でできたことじゃないんだから、周りのみんなに感謝しなさいよ」という言葉。
まだ10代やそこらの若かった頃は、「私が成し得たことじゃん!」と思っていた頃もあったが、今は本当に、身にしみて、その言葉の意味がわかる。
心の底から、お母さんの子どもに生まれてよかった。
まだ病気になる前に、その事を一度だけ、伝えたことがある。
言っておいて、本当によかった。
お母さんの記憶のほんの片隅にでも、引っ張り出せないような奥のほうでもいいから、残っていてくれたらいいなぁと思う。
お母さん、ありがとう。
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